読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

"にゃー博士"はNetflix研究家

にゃー博士が世界をニャメ尽くす

闇サイト殺人事件は「人との出会い」が有りさえすれば、"起き得なかったはずなんだ"

SPONSORED LINK

声優&アイドル注目記事▼ ・めちゃカワ秋奈(ちゅな)の超絶可愛い画像まとめ!!【ナナシスKARAKURI・空栗ヒトハ/フタバ】

・【美人声優】藤田茜(あーちゃん)の超絶可愛い画像まとめ!

ナナシス声優の植田ひかる(ひかるん)の超絶可愛い画像まとめ!!

f:id:rudiments:20161221024840j:plain

 

news.livedoor.com

 

闇サイト殺人事件の遺族が「死刑反対」に対する外部意見に対して「自分の家族が命を奪われても言えるのか?」という疑問を呈している

 

事実として女性が命を落としてしまい、誰かがその罰を受けなければならない。

 

ただ、こんな悲しい事件は「出会い」があればなくなったはずだ。

「人は出会い続けるが、出会いの大切さに気づいていない」

 

『人が幸福になれる機会は"出会い"にしかない』

 

環境や場所や機会や人や国や街や空の下やクラスのどこかでも「人は絶えずだれかと出会っている」

 

もしも良い出会いがあれば、闇サイト殺人事件のような「悲しい結果になることはありえない」

 

これが僕が人生を通じて得た「自分が誰かに悲しい結末を与えないようにするための答え」だ

 

 

どこかで誰かと出会い、そして「人との繋がりの大切さ」や「命の儚さを知る」ことができれば、こんな悲しい結末にはならなかっただろう

 

人は常に誰かと出会い、そして出会いを当然のようのことのように捉えているが「出会いこそ、人が、人の温かみや優しさを知る機会なんだ」

 

もし闇サイト殺人事件の加害者が、誰かとの出会いを通じて「人の心の強さや誰かを好きになれる気持ちや、空を見て悲しくなったり、嬉しくなったりする気持ち」そして「誰かが不意に笑わせたり、なぜか理不尽に怒られたりする」経験をしていたならこんな結末は起きなかったはずだ

 

 

「小さい時の幼稚園の先生に告白して振られてめっちゃ悲しい」

 

「修学旅行でおやつ代を持って来すぎて先生にガチで怒られてむせび泣く」

 

「初めて好きになった女の子に告白していないのに振られる。。。(小2のRちゃん)」

 

「3番目にできた彼女といることで"人との繋がり"の大切さを知る」

 

「2001.9.11を10歳の時に夜寝る前にテレビで見てしまい、人は理性を飛び越えて人を傷つけることを知る」

 

「小学生が夜中まで友達遊んでいると、どこか別世界にいけるような感覚を知れる」

 

 

こんな些細な人との出会いが起こした出来事が「人を変える大切な良い機会」なんだ

 

環境や家族や国や街など、なんでもいいんだけど「良い出会い」のない人間はどこか愛を知らないし、喜怒哀楽の感情はあっても「人を信じる勇気」を持つことができないだろう

 

ただ、僕はラッキーなことに「人生で良い出会いがたくさんあった」

 

だからこそ、僕は「無為にひとを傷つけたりしない」

 

なぜなら『人が幸福になれる機会は"ひととの出会い"にしかないからだ』

「人が人を殺しても良いのか?」という疑問について

闇サイト殺人事件の加害者3名を全員極刑、つまり死刑にしたいと被害者遺族は考えておて、そんな死刑を求刑することが間違っているのか?最愛の人が無残に殺されても同じことが言えるのかと言及している

 

僕の意見は「人は人を無為に傷つけてしまってはいけない」からこそ、加害者に対して「死刑は行われてはいけない」と考えている

 

国の死刑制度を通じて憎い相手を殺すことが出来ても「言葉通り何も残りはしない」

 

一瞬心が軽やかになったとしても「最愛の人を失う気持ち」と「誰かを殺した気持ち」が残るだけで、良い気持ちは何も残りはしない

 

反対に死刑を行わずに「最愛の人を失う気持ち」と「最愛の人を殺した人を憎み続ける気持ち」だけなら、まだ被害者遺族に未来を感じとれる可能性があると考えている

 

ただ、もうすでに最愛の我が娘が殺されたのだから「論理を飛び越え、人は感情を理由に人を殺すだろう」

 

人間として「理性を取るのか」「感情を取るのか」というなら「最後には理性が勝つことを望みたい」

 

それは、9.11テロを幼心に見た時から「常に望み続けていることだからだ」

人の業が「人を苦しめているにすぎないなら」

 

広告を非表示にする