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"にゃー博士"はNetflix研究家

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【警告】『海外ドラマ 世にも不幸なできごと』をNetflixで見ろ!ボーデレール家の最後まで"不幸な物語"に涙するぞ!!

Netflixドラマ Netflix Netflixホラー

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こんにちは、世にも不幸な出来事をNetflixで『全話』見てからボーデレール家の3人の子供達に降りかかる不幸なできごとに辟易としたにゃー博士です

 

『世にも不幸なできごと』はNetflixによってオリジナル海外ドラマとして1月13日に展開されていますが、意外と珍しい「不幸なだけの物語です」

 

では、不幸な物語「世にも不幸なできごと」をNetflixで見てみよう!

世にも不幸なできごとは「不幸な物語にすぎない」 

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Netflixで配信開始した世にも不幸なできごとは、第1話で作者のレモニースニケットが注意しているように「ただ、幸福にならず不幸に終わる物語」でしかありません

 

レモニースニケット自身も本作『世にも不幸なできごと』を「ハッピーエンド」で終わらせる気持ちではないと以前から言及していますから、まぁ当たり前か!」という感じではありますが、、、

 

さて、Netflix『世にも不幸なできごと』のFacebookInstagram&Twitterが面白かったので原作ももしかしたら幸福な終わり方なのか?とも思っていましたが、原作らしいなんとも言えない終わり方をしていました!

 

では、何がボーデレール家の子供達にとって不幸だったのかを簡単にお伝えしていきます

 

その前に、登場キャラクターを説明しておきます!

世にも不幸なできごとのキャストってだれ?

レモニー・スニケットパトリック・ワーバートン

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カウント・オラフ伯爵ニール・パトリック・ハリス)憎き敵!!

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バイオレット・ボーデレール/女の子(マリナ・ワイスマン)とクラウス・ボーデレール/男の子(ルイス・ハインズ)と末っ子のサニー・ボーデレール(カラ&シェルビー・ホフマン)

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ボーデレール家が全焼し、両親が死んでしまった

『世にも不幸なできごと』のストーリー上はボーデレール家の両親達は死んでしまったことになっていますが、Netflixを見てもらうと、あれ、、、生きている?というような描写があちこちで表現されています

 

『世にも不幸なできごと』の原作でも両親が死んだのか?それとも死んでないのか?というのは明確に表現されていないのですが、ボーデレール家の子供達は最後まで両親が死んでしまっていると思い込んでしまっています

 

では、なぜこんな不明瞭な表現をしているのか?といえば『世にも不幸なできごと』が児童文学として存在しているからです

 

児童文学としての意義

『世にも不幸なできごと』の原作は全13巻で構成されているのですが、毎回物語の初めに作者であるレモニースニケットが「これは幸福なお話ではない、、、不幸な物語だあら見るのをやめるんだ!」と読み手である子供達に警告を発しています

 

まぁ、読むなよ!と言われれば誰でも見たくなるわけですが、そんな中で児童文学書として「レモニースニケットは人生は不明瞭であり、かつわからないこともある」というメッセージを読み手に送りたかったんだと感じています

 

実際、Netflix『世にも不幸なできごと』を見れば、両親生きているし!!とツッコミを入れたくなるのですが、ストーリー的にはボーデレール家の子供達は両親が死んだと思い込まされています

 

ここら辺にレモニースニケット自身のメッセージとして、現実と事実は違うことがあるんだ!けど、本当のところを知るのは凄く難しいことなんだ!暗に示したかったのではないかという意識が僕には読み取れました

たらい回しにされ続けるボーデレール家の子供達

オラフ伯爵がバカな銀行員を騙して、ボーデレール家の子供達の養父としての役割を手に入れてしまったあたりから、常に安住の地を持ち合わせない不幸なたらい回しの生活をボーデレール家の子供達は強いられることになります

 

ボーデレール家の両親と一緒に住んでいる大豪邸が天国だったわけですから、それ以外はまさに地獄ですし、たらい回しにされる先々で不幸に見舞われ続けるので、定住することもできずに常に安定していません

 

さらには、『世にも不幸なできごと』の大きな敵となるオラフ伯爵が常にボーデレール家の子供達を狙い続けているわけですから、本当にやってられない感じなんです

 

8話のラストの歌が印象的

『世にも不幸なできごと』では、最後にどうにかボーデレール家の子供達が寄宿学校に逃げ込むことができて、今後安全に生きていくことができるようなラストを迎えます

 

ただ、物語の最後の場面で『世にも不幸なできごと』の登場キャラクターたちが全員で『うた』を歌うんですが、それがまた印象的だったんです

 

それがこちら

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結局のところハッピーエンドではなく、なんとも言えない終わり方をしていくのが、『世にも不幸なできごと』の良いところでもあるんです

登場キャラクターたちが、不幸を笑顔で楽しむ

と、『世にも不幸なできごと』をNetflixで見る場合は「不幸な物語」を見るんだ!と考えてから見た方が良いのですが、特に第1話から『世にも不幸なできごと』を見ていて感じるおかしな点があります

 

それは、不幸のどん底にいるボーデレール家の子供達に関わる大人たちが、常に笑顔で両親が死んでしまったことを楽しんでいる節がある点です

 

時たまボーデレール家の子供達を助けてくれる人もいるのですが、ほぼ90%の人間たちがなぜか「不幸な子供達をさらに不幸にする行動を笑顔でしやがるんです」

 

ここら辺が『世にも不幸なできごと』を見ていて1番にオェッとなったお芝居としての表現で、誰もがボーデレール家の子供達を大切にしないのです、、、

 

『世にも不幸なできごと』はまさしく不幸な物語です、、、、

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レモニースニケット自身が第1話の冒頭で教えてくれる「ハッピーエンドを望むならこの物語を見ない方が良い」という指摘です、、、、

 

本当にレモニースニケットが言った通りの「不幸なできごと」として終わってしまうのが拍子抜けといえばそうなのですが、『世にも不幸なできごと』は児童文学としての側面が強いために映画によくある大どんでん返し!がないんですよねぇ、、、

 

レモニースニケットが伝えたかったこととは?

ハッピーエンドを望むなら見るな!と最初から読み手に伝えてくれていて、もしかしたらそんなこと言ってハッピーエンドじゃないの?と勘違いして最後までみたらガチでバッドエンドだった!!というのは、こう伝えたかったのかもしれません

 

『世にも不幸なできごと』が児童文学作品として、シンプルに「君の期待した通りに人生がうまく運ぶことはそうはない。笑顔な時もあれば、ほくそ笑むこともある

 

総じていえば「思い通りには人生ならんよ!」と『世にも不幸なできごと』という作品を通じて伝えようとしていたんだと思います

 

そういった意味では児童文学作品としては、最優秀な出来栄えだとすら感じています!!!

『世にも不幸なできごと』は良い作品なのか?

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Netflixとしては珍しい児童文学作品攻めな、明るいハッピーエンドではないのですが、『世にも不幸なできごと』は作品としてはめちゃ完璧だ!!と感じています

 

多くの初見の人たちにとっては、なんでハッピーエンドじゃないんだ!陰気で大人たちが卑怯で意地汚くて見てられない作品でもあるのですが、ある種人間の一側面を深く抉り出したような『児童文学』としての境地にあるな!!と!!!!

 

なので、『世にも不幸なできごと』をNetflixで見る時はこれは不幸なんだ、、、児童文学作品なんだ、、、ハッピーエンドじゃないんだ!!と分かった上で見ていくて作者のレモニースニケットが『子供達に伝えたかった本当のこと』が少しだけわかるのかなぁ?と、、、!!!!

 

何よりボーデレール家の子供達の「ストーリーの中での葛藤」にも目を向けながら楽しんでもらえれば幸いです

 

 

幸せに成就させない、そんな不幸な物語。それが『世にも不幸なできごと』です

『世にも不幸なできごと』がなぜ不幸なのか?

世にも不幸なできごとがなぜ不幸な世界観によって構成されているのか?は児童文学であり、かつ世界の理不尽さを子供たちに伝えるためです

 

ただ、両親が実は死んでいない設定で、それを子供たちが知らないだけな世界という点からも、実はそこまで不幸な世界として存在しているわけではないとも言えます

 

物語としてどこか『幸福』になるための導線を用意していないわけでもない。そのために世にも不幸なできごとが不幸でありながら全世界で楽しまれる作品にまでなりえたといえます

 

全てのものがたりを見ているとどうしても『不幸な終わり方』をしている側面が強く表現されていますが、『それでもまだ世界には、君には幸福になるための道筋』があることをレモニースニケットはものがたりを通じて表現していると今になって感じています

 

だからこそ、世にも不幸なできごとは不幸であり続けるものがたりなのかもしれません

 

つまり、不幸でありながらも、幸福であり続けようとする姿勢を表現しようとしているわけです。そう考えるとめちゃくちゃ考え込まれた児童文学作品であり、かつ高度な表現をしている作品だと感じ取れます

 

ではでは^^

 

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